瀧川鯉斗と母親とのエピソード!やんちゃだけど超母親想いだった!

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今回ご紹介するのは、令和初の真打(しんうち)に昇進し、182㎝の長身とイケメンっぷり、異色な経歴からあっというまに世間の注目を浴びた落語家・瀧川鯉斗さんの生い立ちと、母親とのエピソードをご紹介します。

美STより
目次

滝川鯉斗さんプロフィール

古典落語に取組み高い評価を得ている実力派真打。
寄席や独演会など落語家としての本業以外にも、テレビ番組の出演や雑誌ファッション誌「LEON」でのモデル活動、また役者としても活躍し、ジャンルを越えて積極的に活動している

滝川鯉斗オフィシャルサイトより

生い立ち~小学校

1984年に東京で生まれ、3歳の時に父親の転勤で北海道札幌市に移り住み、その後小学校3年で再度転勤で名古屋に移り住む。

小学校の時は夏は野球部、冬はサッカー部に所属するかたわら、学外でのリトルリーグやクラブチームでも活動というスポーツは万能。

中学校~

中学時代、サッカー愛知県代表監督からスカウトされ、ゴールキーパーとして県代表チームのトレーニングに参加するなど有望選手として期待された。

しかし、この時期からオートバイの魅力にとりつかれ、生活態度が乱れ始める。

このためサッカー推薦による高校進学も断念せざるを得ない状況になり、人生初の挫折を経験。。

高校には進学せず暴走族「天白スペクター」 名古屋支部の12代目の総長になる‼

18歳~

その後、18歳で暴走族は卒業。2002年上京し、新宿のレストラン「赤レンガ」でアルバイトをしながら生活を始める中、その店で後に師匠となる瀧川鯉昇の落語独演会が開催される。

一目で師匠の落語に惹きつけられ、打ち上げの席で弟子入りを直訴、落語家への道へ。

僕は地元で有名なワルで、高校は初日に先輩とケンカをして結果1日で退学となっているんですが、家庭に問題があったということでは決してないんですよ。単純に、ツッパっていることに憧れていたんです。暴走族の先輩達はみんなカッコ良かったし、そういうドラマや映画も好きでしたから、自分もああなりたいって思っていました。散々両親には心配かけてきましたけど、やっぱり親って大事だなって思います。

美STより

滝川鯉斗さんと母親とのエピソード

中学校で暴走族に入った息子を心配していた母親ですが、鯉斗さんも母には心配かけまいと、ワル友達とたむろしてる時に母親が迎えに来ると心配をかけささないように早く帰ったそうです。

そしてある時、暴走に行く途中に家の前を通ってしまった所、母親が車で追いかけてきたそう。(お母さんスゴイ..)

ほかの車やバイクを追い抜き、鯉斗さんの車に近づき窓越しに「早く帰ってらっしゃい」と言ったとか。

母を遠ざけるために鯉斗さんは車のスピードを上げると母親もスピードを上げてついてきた!すると追いかけてきたパトカーに「そこの調子こいてるクソババアとまれーー!!」と言われ、つかまりそうになったという。

落語芸術協会プロフィールより

凄いエピソードですが、母親が鯉斗さんを心の底から心配してた気持ちは凄くよくわかりますよね。

そんな鯉斗さんは、「このままだと母親を苦しめるだけだ」ということに気付き、暴走族引退を決心したのだとか。

やっぱり母親想いなんですよね。⇩こんな事も言ってらっしゃいます。

結婚はもちろんしたいです!子供もほしいなぁ。理想像としては、生まれた子供に愛情を注ぎ合える関係ですね。僕の両親がそうだったので。僕は中学の時全く先生の言う事を聞かなくて、悪さばっかりして部室で先生に殴られたことがあるんですが、それを偶然僕に弁当を持って来た母親に見られたことがあるんです。それを見て母親が「もっと殴ってください!」って(笑)。殴られても仕方ない子供だったとはいえ、なかなか言えない言葉ですよね。

美STより

まとめ

今回はイケメン落語家滝川鯉斗さんの生い立ちと、母親とのエピソードをご紹介しました。

滝川鯉斗さんはあの頃の自分に言葉をかけるなら「サッカーしてろ!」と言いたいそうです。

やんちゃして母親に心配かけてたことを気にかけてらっしゃるのかもしれませんが、今現在立派な落語家として歩まれてることですでに親孝行されてますよね。

滝川鯉斗さんの今後の活躍に期待しています!

最後まで読んで下さりありがとうございました

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